鬼 弍
始まるのは賑やかな日々
局長と副長への報告が終わり、歩は一人で屯所の廊下を歩いていた。
「とは好い名前だ、うんっ!君も手伝いが欲しかったんだろう。構わんよ。」
そう言って上機嫌で承諾した局長。
そうなってしまえば副長も何も言えず…まぁ、隊士ではなく賄いとしての雇い入れには鬼の副長である彼もそう厳しくもならないのだろう。
とりあえず一段落した事に胸を撫で下ろしていると、突然背後で声がする。
「何のつもりや。」
歩はさして驚きもしない。
彼女にとっては影が光の下に姿を現しただけのこと。
「別に、何のつもりもない。ただ…」
「ただ?」
珍しく言葉を詰まらせる彼女に、影は眉をひそめて先を促す。
「あの子が、うちらと…同じ目を、していたからや。」
そう、雨の中、あの子が人々を見つめるあの目は、間違いなく
鬼の目
「聞いたかっ!?さの!ぱっつぁん!!」
本日は快晴、気温もぽかぽか。
暖かい春の日。
一人の男が勢いよく一つの部屋の障子を開けた。
「なにサ。」「なんだーっ!?」
部屋の中にいた二人の男は半ばめんどくさそうに、声の主を見上げた。
一人は文机に向かい、一人はど真ん中で寝そべっている。
いきなり部屋を来訪する男にも慣れているのか特に慌てる様子もなく、
文机に向かう男はその手を止めない。
それを気にも留めず、男は話し出した。
「新しい賄いの娘が入ったんだってよ。俺まだ見てないんだけど!」
どんな娘かなーと、にやける男を横目に、文机に向かう男は溜め息をついた。
よっこいせ、と立ち上がるとその身体は意外にも小柄だ。
男は新撰組二番隊隊長 永倉新八
愛らしい外見とは裏腹に隊でも一、二位を争う剣の使い手である。
そして新八は大男を踏みつぶし入ってきた男の隣に座りなおす。
「ッテッ!何すんだよ新八!!」
「鼾で人の報告書つくりを邪魔した罰だよ、さの。」
顔をしかめながら上半身を起こす大男は十番隊隊長の原田左之助。
「やーい、怒られてやんの。」
それを見てけらけらと笑う八番隊隊長藤堂平助。
新撰組の中でも古株で特に仲の良い三人だ。
「で、賄いの娘だって?良かったな、アユ姉大変そうだったし。」
新八が言いながら左之助をつつくと、「やめろ」と渋々起き上った。
普段賄いとして常駐しているのは歩だけであり、偶の臨時賄いもあまりの激務に短期間で辞めていく。
今回も同じなんだろうか。
「しかも今回の娘…常駐だぞ。」
「それは本当かぁ!平助っ!!」
突然神妙な顔で話す藤堂にいきなり喰いつく左之助。
「なんでそこで興奮するのサ」
新八は大きな溜め息をついた。
「やってるやってる。」
目的の部屋から聞こえる賑やかな声にくすくすと笑いをもらすこの男は沖田総司。
その後ろについてきているのは、歩の言い付けが終わり、一息ついている所をいきなり話しかけられて強引に連れてこられただ。
ここ新撰組屯所で働き始めてから今日で3日目。慣れないことが多すぎて、正直疲れていた。
しかもこんな風に隊士から声を掛けられるのは初めてで若干の緊張もしている。
そんなことを気にかけるでもなく、自分の前をいそいそと嬉しそうに歩く総司の姿にさっきから眉根が寄りっぱなしだ。
スパンっ、と小気味いい音と共にこの障子戸が開かれるのは本日二度目。
新八、左之助、平助の三人は驚いて振り向いた。
「はーいっ皆さん!!噂の新人賄いさん連れてきましたよーー!!」
それまで沖田の後ろにいて油断していただったが、急に肩を掴まれ、前に突き出される。
三人の視線が痛くてしょうがない。
「ほらほらっ!ごさいあつしなくちゃだめですよー。」
自分に集まる注目に耐えきれず明後日の方向をみていると、総司によってその場にストンっと正座させられてしまった。
見上げた先の満面の笑顔には殺意すら芽生えるし、真正面の三人の驚いた顔には溜め息がこぼれる。
…しかし、雇ってもらった以上、雇い主側の言うことには従わなければならないだろう。
は渋々口を開いた。
「先日より、こちらで働かせていただいております。と申します。どうぞよろしくお願いします。」
一礼して顔を上げると狐目の男だけが先と変わらず驚いた顔をしていて、その両側の大きな男と小さい男が腹を抱えて笑いをこらえている。
何事かと総司を見上げればこちらも笑いを堪えているようだ。
「クっ…私は男か女かなんて言ってなかったはずですけどねー。ぷぷ。」
どうやらこの男に新しい賄いの存在を教えたのは総司のようだ。
「男…」と呟きながらうつむく男の姿から大体どのような勘違いがあったのかは見当がつく。
(ま、本当は女だけど…)
性別をを偽っておいて良かったと、ほんの少し思った。
女だったらいろいろ面倒事が多かっただろう。
「ぷはっもうだめっ!お前面白すぎるっっ平助っ!」
いつのまにか耐えきれなくなった三人が思いっきり笑っている。
そんな中、狐目の男は未だに俯いたまま肩まで震わせている。
そんなに自分が女でなかったことが悲しかったのかと申し訳なく思い、がそろりと近づく。
「あの…えーっと…。…大丈夫ですか?」
何と声を掛けて良いやら見当もつかなかったが、
とりあえず肩をゆすりながらそう言うと、その男はゆっくりと顔を上げた。
その時、男の頭の中でどんな補正がされたかなんて見当もつかない。
が、
ガシィッ
「へっ!?」
いきなり掴まれた両肩。
の想像を遥かに凌駕していたに違いない。
「かーわいぃぃっ!!」
「ぎにゃぁぁっ」
思いっきり抱きついてくる男の腕の中で、男だろうが面倒事は多いのではないか、なんてことを考えていた。