…何処かで、声がする。







「へ?仔犬?」

さすがに驚いて洗濯物を干す手を止める。

「沖田さんが…仔犬と…決闘…?」

なんだか酷く滑稽な図が。


いやいやいや、と柱に寄りかかるその人が首を振る。

「仔犬みたいな男の子、ネ。」



あぁ、なるほど。
それでなんだか道場の方が騒がしいのか。


くんは行かないの?」


たーのしそーだよー、と笑う永倉から、目をそらす。


「俺は、仕事があるんで。」







ココに雇われてから早いもので三月が経った。


未だ誰にも女だということはばれず。


記憶は戻らず。



何人かの隊士たちは自分のことを可愛がってくれるし、アユ姉もいる。




寂しくはない。




ただ何処か、虚しい。









それと、どうしても慣れないことがある。



それは、刀と血。






アユ姉に拾われ、初めて屯所に来た時感じた不快感は恐らくココに染みついた血の匂い。







討ち入り後の彼らとは、会えない。


染みついた血の匂いが胸を圧迫するのだ。



一番初め、彼らの手当てをしようと表に出た時は吐いてしまった。

それからは自室で大人しくするように言われている。




しかし遠く離れた自室に居ても、鼻につくその匂い。









叫びだしそうになる。











一体何が自分をそこまで掻き乱すのか、分かるはずがない。




記憶が、ないのだから。













「俺は、いいっ…ス!?」

ふわりと、浮いた気がした。

というか実際浮いてる。


「そんなこと言うなよ!一緒に見ようぜっ!!」

「は…!原田さん!?いや、俺は…って勝手に進むな!!俺は結構ですってぇぇぇっ!!!」





後ろからニコニコとゆっくり付いてくる永倉を見て、は頭を垂れた。








近づくにつれ、段々と歓声が大きくなる。


「よっしゃあぁ!!」

大きな掛け声が聞こえた。


「おら、ついたぞ!」と言われ、抱えられたまま振り返ると、二本の刀を手に走り出す赤髪の少年が見えた。



歳は…十くらいか?





一瞬だけ、頭痛がした気がする。








(なんで、戦うの?)









その場がざわつく。

沖田さんの頬に、傷が出来た。





そして、彼の目が、変わった。





少年は構えの変化に気付かずに走り出す。




「よせっ!て…っ」


外野から出てきた青年も、遅い。



(それじゃあ、間に合わない。)







原田さんも永倉さんも駆け寄り、は一人離れて事の次第を傍観していた。





立ち上がった少年の眼は、どこか懐かしい。


(あぁ、どうしてこんなに、心が静かなのかしら)




沖田の竹刀が彼に振り下ろされることはなく、鈍い音をたててそれが割れる。





新撰組副長 土方歳三


「ここでは仇討ちの剣なんぞ身に付かねェ。」



彼の言葉は少年の心にどう刺さるのだろう。







去っていく土方と一瞬、目が合う。





彼の瞳が見開かれた気がするのは、私の思い違いだろうか。















の足元には、割れた竹刀の先端が突き刺さっていた。

それは先程まで、彼女が居た位置。




彼女によけた記憶は、ない。






彼女はその事実に気付くことなく、ハタと我に返ると振り向き走り出した。



「洗濯物っっ!!」




物陰から彼女を見る影にも気付かずに。













「というわけで!今日からまた愉快な仲間が増えました!土方さんの小姓になる市村鉄之助くんですっっ!」


高らかに宣言する沖田は満面の笑み。

少年はとなりで肩を震わせ悔しそうな顔。


は憐みの視線を少年に向けていた。



大体察しはつく。



(まァ…子供だし?)



隊士として雇われると思っていたのだろう。


この子は。





「ほらほら、ご挨拶しなくちゃですよ〜?」



(前にも聞いたような台詞だな)


「……市村鉄之助…です。よろしく。」

「俺は近藤さん付きの小姓の。よろしく。」





沈黙


沖田は「じゃ!後は若い二人で!」と訳のわからないことを言って部屋から出て行ってしまった。



ひたすらなその沈黙を破ったのは意外にも鉄之助の方だった。

「…んでだ?」

「は?」

俯いたままなので、何を言ったか聞き取れなかった。


「なんで小姓なんてやってんの?お前。」



大きな瞳に、捕われた気がした。



「なんでって、元から俺は隊士志望じゃないんでね。」


グッと身を引く少年。
恐らく私を自分と同じ境遇の人間だと勘違いしたのだろう。


「なんでだ?」

こちらから聞くと、意味が分からなかったのか首をかしげた。



「なんでお前は隊士になりたいんだ?」


大きな瞳が陰った。

(いろんな瞳をする奴だな。)

「…探してる攘夷浪士がいるんだ。」




なるほど。
それで「仇討の剣」ね。




「ま、あきらめな。」

「んなっっ!!」


赤髪が大きく揺れる。


「そーだろ?お前は小姓になったんだから。仕事教えるから着いてこいよ。」

背後から喚き声が聞こえるが、それに振り向きもせず、は長い長い廊下を歩きだした。









あきらめろ







いや…忘れろ。











忘れろ。















全て忘れて、生きろ。















あぁ、何処かで声がする。