仮面 06 和解
「又の御来店、お待ちしてますね。」
はりつけた完璧な笑顔を向けると、斎藤は上機嫌で運転手つきの高級自家用車に乗り込んだ。
車が角を曲がり見えなくなることを確認すると彼女は店内に急ぎ戻り、店の奥でタバコをふかし、売上勘定をしているだろう店主を探す。
「椿さん。」
声をかけるとその人はゆっくりと振り向き、ニヤリと笑った。
「済んだかい?」
「ええ、ありがとうございました。」
「礼を言うのはこっちのほうだ。」
そう言いながら数えていた札束をちらつかせる。
「ご協力いただいた分です。」
べったりと塗りたくった化粧を落としながら鏡越しに言えば、椿はため息とともに煙をはきだし鏡越しにを見つめ返す。
何か言いたそうなその目に苦笑いしながら、隊服に袖を通す。
「それでは。今回も、ありがとうございました。」
「詰め所に戻るのかい?」
「いえ。一応、初仕事なんで。」
そう言ってが笑うと椿は呆れ顔で「気をつけな」と言って店に戻った。
椿の後姿を見届けてから部屋を後にする。
裏口から抜けるとまだ冷たい夜風が肌を浚う。
ビルの間の細い道を我が物顔で歩く猫に向かって微笑み、そのまま闇に溶けるように男が向かったはずの家へ。
裏路地や家の上をひたすら走る。
目的地に近付くとパトカーの赤い光が見えてきた。
どうやら首尾は上々のようだ。
最後、とばかりに大きく跳ぶと、それまで見えなかった月が現れる。
細い、今にも折れてしまいそうな一人ぼっちの三日月。
まさか、本当に3日で仕上げてしまうとは。
数日前、土方は女の持ってきた書類を見ながら、内心舌を巻いていた。
「間違いはねぇな。」
「はい。母方の旧姓に名字を変えて我々の目をかいくぐっていたようです。」
手元の書類に目を落とすと、そこには取り巻きを引き連れた懐かしい男の顔。
斎藤安之助
攘夷戦争参加。開国後、商人となり武器密輸の疑いで検挙されるが証拠不十分で無罪放免。
どうやら一部天人と金銭で癒着していたらしく、恐らく無罪放免もその天人の口添えだろう。
斎藤を検挙した真選組はまだ組織としては未成熟で、その件で後々までネチネチと幕府の懐に潜り込んでいる天人の嫌がらせを受けたのだった。
目の前には小娘と言えるほどの年頃の女。
(まだ。まだだ。こいつは真選組の一員ではない。)
土方は頑なとも言える様な態度で、を認めるのを拒否している。
が真選組に正式に入隊してからほどなく1週間。
初仕事は「腕試し」
与えられたのは過去の捜査資料
責めを行った浪士の口から出てきたその男を探せというものだった。
(嫌われたものだわ。本当に。)
3年も前の資料を使ってどうしろというのか。
は資料をみて笑ってしまった。
それでも、ものの3日で男を見つけ出したのはさすがと言うところであるはずなのだが。
仕事が出来ることだけは認めてる。
だが、どうにも得体が知れないところが土方の癪に障る。
もともと、斎藤の捜索は山崎にさせていた。
それが一向に出てこない。
だからこそ、出来るはずがない前提で彼女にこの仕事を任せたのだ。
(一体どこで情報仕入れてきやがった…)
目の前の女はただ、無表情に土方の視線を受け流すだけ。
「毎晩あんな男の世話して、疲れないんですかィ?」
自室に向かう途中、目礼で済ませ通り過ぎようとしたの足が止まった。
三日月が放つ光で薄く、二人の顔が浮き上がる。
栗色の髪を揺らして、彼は薄く笑っていた。
彼女はここでも無表情に彼を見つめる。
(アホらしい)
月が隠れた。
ココもやはりそうなのだろうか。
「女」で「忍」で「色」を使える。
だからこそ向けられる下卑な視線。
これまでの仕事場で幾度となく向けられたそれを、もはや否定するのも肯定するのも面倒くさい。
「お気づかい、ありがとうございます。」
「気にくわねぇ…。」
言い残してきっちり礼までした彼女が視界から消えると、総悟は独り呟いた。
別に、彼女に何かを奪われるわけではない。
それでもどこか、いつも自分の前に立つあの男に対する気持ちと似ている気がするのだ。
そして、空には細い三日月。
イラついていた。
その苛立ちが理解できなくてさらに苛立つという悪循環に沖田は陥っている。
その上、一番嫌いな上司にそれを「剣が乱れている」と指摘され、
まるで八つ当たりでもするかのように周囲を囲む浪人たちを切り捨てていた。
彼女が真選組に現れてからこっち、晴れることのない心。
(あぁ・・・ムカつく)
果たしてそんな言葉で片づけていいものか甚だ疑問だが、今の彼にはほぼ怒りに近い理不尽な感情しかない。
突き止めた斎藤の住まいに乗り込んでみれば、の見立て通りそこは過激派の隠れ家となっており、数十人の浪士が襲いかかってきた。
勿論数も想定内。
しかし、沖田はこんな状態でまともな剣が振れるわけがない。
一瞬の隙ができた。
近藤を援護するように戦っていた沖田だったが、一人の浪士を見逃していた。
それはまるでスローモーション。
背後を沖田に任せ、進んでいた近藤に一人の男が近づく。
手には血濡れて、光りの鈍った日本刀。
「ちぃっっ!!」
遠くで聞こえる土方の怒鳴り声。
振り返る近藤。
届かない自分の刃。
ふと、花の香りをかいだ気がした。
鈍い音と、最後の男の最期の呻き。
倒れた男の向こうに見たのは気に食わない女。
苦無を男だったものから引きぬくと、未だ唖然としたままの近藤を見上げた。
「お怪我はありませんか?近藤局長。」
「あ・・・あぁ。」
山崎を含めた数人の隊士を連れて土方がやってきて近藤の無事に安堵し、沖田を睨む。
「言っだたろ。てめぇは下がれと。」
剣の乱れを指摘されたとき、前線から一旦下がれという命令を無視して近藤についたのだ。
「……悪かったでさぁ…。」
さすがに今回は反省しているらしい沖田に、土方もそれ以上の追及を避けた。
「ありがとうな。ちゃん。」
「いえ。」
血みどろのこの場に不釣り合いなほどの笑顔を向けてくる近藤に、もほんの少し、口端を上げて答える。
恐らく自分が手を出さずとも彼は命にかかわるような重傷は負わなかっただろう。
(さすが、というか。)
は改めて真選組をまとめるこの男の力を感じた。
彼女が真選組での仕事の依頼を了承したのは、近藤という男に会ってみたいと思ったのもある。
時々、城や幕府の機関で見かけたとても役人には見えないこの男。
これまで出会ったことのない人種だったのだ。
最初に、異変に気付いたのは山崎であった。
「あーーっ!」
驚き、肩を跳ねさせる本人におかまいなしで山崎はの細い腕をとる。
「っ!」
「ここ、怪我してる。」
驚いて全員が覗き込むと、真紅の滴が小指を伝って地に零れていた。
見れば肘より下の一か所が赤く滲んでいる。
苦無を投げた時、他の浪士を掻い潜った際のものだろう。
「キャアアアアアッ嫁入り前の体がああああっ!だっ…だれか救急車あああぁぁっ!!!」
本人にとっては小さな怪我だが、当然の如く近藤は大騒ぎを始める。
しかし、その間には自分の隊服のスカーフで止血を完了させてしまった。
「平気です。直に血も止まるでしょう。」
ひどく原始的な方法で救急車を呼ぶ近藤をなだめすかすは本気で困ったようで、何処か少し、嬉しそうだった。
それを見て、沖田は唐突に理解した。
なぜ、彼女の存在がこんなにも気に食わないのか。
似ている。
他でもない、自分自身に。
沖田はもともと他人にも自分自身にも頓着する性分ではない。
好きなのは近藤で、嫌いなのは土方。
それだけ。
彼女も恐らくそうなのであろう。
主は真選組で、敵は真選組に仇なす輩。
それだけ。
お互い、それ以外は何もないのだ。例え自分のことであっても。
その、強みであり危うさでもあるそれが、まるで鏡をみるようで気に食わなかったのではないか。
沖田は自嘲した。
「考えもしませんでしたねぃ。」
「?どしました隊長。」
しょうがない。社会性が著しく低いのは重々自覚している。
ここまで分かっただけで上等だ。
「?」
首を傾げる山崎を置いて、未だ近藤をなだめすかすに近づいた。
「近藤さん、煩いでさぁ。その女、掠り傷一つで病院に行く玉じゃないですぜィ。」
「玉とかの話じゃないの!嫁入り前の体に傷なんてついたら大変デショ!!」
「初対面の相手の腹に思っくそ拳叩きこむ女が嫁に行くとこなんて想像もつきませんがねぃ…。」
「…あら、叩きこまなかったじゃないですか。沖田隊長が振り下ろすのが遅かったから。」
「何言ってんでさぁ。お前の拳届かなそうだから俺が止めてやったんでぃ。」
「…そこまで言うなら、もう一度手合わせしていただいても?」
見上げる好戦的な視線に、沖田は自然と笑みがこぼれた。
「やめときまさぁ。近藤さんが煩そうだから。」
「優しいんですね。沖田隊長は。」
「あ、あれ?これ仲良くなったの?ん?悪いの?どっち??」
恐らく仲良しとはほど遠いが、これで取りあえず近藤も安心してくれるだろう、とは内心安堵した。
「おい、山崎。」
早々に現場に背を向け、隊士達の指揮をとる土方に呼ばれ、山崎はすぐ隣に控える。
「どうしました?副長。」
「どう思う?」
彼の煙草が指す先は微かに笑みを浮かべながら近藤と沖田に囲まれる。
「あ、隊長とも打ち解けたんです…かね?良かったですね。」
そのまま近藤にも言われそうなことを言われ、土方は眉をひそめる。
やはり小娘をココに入れたくない自分の身勝手な感情なのか?
しかし、疑念があるのならば調べるべきではないか?
それが例え根拠のないものだとしても。
「…あいつの周り洗え。」
「え!さんをですかっ!?」
何か言いたそうな山崎を無理矢理仕事に戻させ、短くなった煙草を踏みつぶした。
「気にくわねんだよ。俺も。」
いつの間にか、三日月は消えていた。