仮面 07 影踏み










夜空に月がいなくなる頃、は屯所に戻る。


慣れた様子で庭に降り立つと、口を覆っていた布を取り外し、ついでに結んでいた髪も解いた。
髪を適当に掻き乱しながら、自室に向かう足が、ピタリと止まる。
鼻を掠める煙の臭い。

縁側の人影が土方十四朗その人であることを否応なく教えてくれた。


「…。」

無言でこちらを見つめる土方の真意は図りかねる。
ただ、好意的なそれではないことは一目瞭然だ。

「遅くまで、お疲れ様です。」

形式的な挨拶を残して、去ろうとするを土方が許さない。

「…報告は?」

振り返るが、土方はこちらを向く気はないようだ。

「いえ、特段報告するような事は起きていません。」

「そうか。」

今度こそ、は自室へ向かう。
伝わってくるのは、明確な敵意だけだった。






自室の扉に手を掛けるが室内の様子が出る前と異なっている。
その事実に、土方に対しては無表情で対応しただが、露骨に眉を潜めた。

後ろ手で扉を閉めると、一つ大きく溜め息をついた。




恐らく監察方の誰かの仕業だろう。




物の位置が変わっているわけではないが、家探しをされたのくらい分かる。

箪笥から室内用の軽い浴衣を取り出すと、身に纏っていた忍び装束を脱ぎ捨てる。
微かに空気が動くのを感じとるが、歯牙にもかけず着替えを終えて床に着いた。


(本当に…耳にした以上の堅物。)








「あのー副長?」

山崎が暗闇から姿を現し、土方に声を掛けると、その肩が大袈裟なまでに跳ねた。

「ヒッッ!?あ、や、山崎か。脅かすなよ。や、怖かったわけじゃねえよ?ただびっくりしちまっただけで。な、なんだ?」

そういえば、この人怖いの駄目だったなー、と思いながら膝をついた。

「あの…、さんは…まだ調査が必要ですか?」

「ああ。」

即答されて、山崎は顔を顰めた。
はっきり言って、彼女を調査することは至難の業だ。
見張りをつけても、見失ったと言って帰ってくるものがほとんだし、今日の家探しもあの様子ではばれていただろう。
もしかすると、あの時天井裏に潜んでいたことも彼女には分かっていたかもしれない。
土方が「怪しい」と思うのも分からないではない。
しかし、彼女が仕事が早いのも、見張りをいとも簡単に巻いてしまうことも、それほど隠密活動を得意としている証拠にはなるものの、
裏切りの証拠にはならない。

「副長はさんを、攘夷派のスパイだと?」

「どっかに…繋がりはあるはずだ。」

その繋がりを利用して、攘夷派を取り締まろうというのか。
この人は本当に仕事人間なんだと、山崎は思った。

「分かりましたが、あまり期待はしないでください。相手が悪すぎるので…」

「いい訳か?」

「っ違いますって!監察方半数を投入しても何も出てこないので白かもしれないってことです!!」

土方の視線に慌てて、手を振って否定するが、その時ゴトリと音を立てて山崎の懐から厚い本が落ちた。
それを見て、土方の額に青筋が立つ。

「あ、これは…あの…」

「ジャンプ読んでる暇があったら仕事しやがれええええええっ!!!!」

思い切り引き裂かれるジャンプを尻目に、山崎は全力で退散した。














「きゃー盗人ーーーーっ!!」

「おい、おめえ捕まえて来い。」

盗人にさして興味を示さず、団子を頬張りながら命令する上司に心の底から溜め息がでた。

「てめえええっそこ退きやがれ!」

たった今奪った荷物を抱え、こちらに向かいながら片手で刀を振り回す中年の男。
は微動だにしなかった。

「てめ…。」

刃を向けてくる男は、恐らく興奮での制服が新選組のそれであることを失念しているのだろう。
男が走って近付くと、ぎりぎりまで待ってから身を翻す。
横から刀を持つその手を両手で固めると、骨同士が擦れる嫌な音がした。



「ちょっと…人が仕事している間に寝てるのやめていただけます?」

荷物を持ち主に戻し、町役人にナイフの男を引き渡した後で、は現場真っ正面の団子屋で昼寝をする沖田のアイマスクをはぎ取った。

「昨晩、夜更けもいい時間に土方の野郎がなんか叫んでやがったから良く寝れなかったんでさァ。」

の手からアイマスクを奪い取り懐に仕舞いこむと、やれやれと肩を竦める。

「お前、びっくりするぐらい土方の野郎に嫌われてるみたいだねィ。」

「そうですか?仕事する分には問題ないです。」

の答えが面白くなく、そっぽを向いた沖田はこちらに向かって歩いている銀髪に気付いた。

「旦那ー、丁度いいところに。寝不足で疲れてるんで、なんかおもしれぇことしてくだせェ。」

「前回から何なのソレ?その無茶振り流行ってんの?ちゃんも大変だねー毎日無茶振りされて。」

「や、私はされたことないし。」

銀時が団子を注文するのを横目で見ながら、再び横になろうとする沖田。

「隊長、お仕事を、巡察をなさってください。」

すると、沖田は煩そうに片目を開いた。

「仕事仕事っていうところは、土方さんにそっくりでさァ。ストレスで死んじまいますぜィ。」

「隊長が仕事しないことがストレスです。」

「あー…そーゆーとこもそっくりでさァ。」

現在進行形で敵意を向けられている人間、しかも、こちらもあまり好意を持てない人間に似ている、と言われるのは些か癇に障る。
怒りを静めようと、視線を他に向けると偶然見知った顔を見つけた。

ちゃんは食べねえの?」

勿論既に団子を咀嚼している銀時ではない。
周りを気にかけながら路地裏にするりと滑り込んだ影。
あれは間違いなく攘夷派の要注意人物だ。

は、監察方に着任して早々に見せられた要注意人物リストを頭の中に広げる。

「沖田隊長。」

男が入り込んだ路地を覚えてから、再び沖田に向き直る。

「監察方でマークしている人間を発見しました。後を追います。」

「おー。なんか動きでもあったら連絡しなせェ。土方さんに。」

お前じゃなくてか、というつっこみを胸に、は人ごみに紛れた。

「あれ、沖田君?君行かないの?」

「いいんでさァ。おーい、もう一本追加なー。」

監察方がマークしている人物だということは、恐らく現段階では取り締まりができない、あるいはあえてしない人間ということだ。
死番が最も性にあう沖田には、人の動向を探るなんて、全くもって向いていない。
と、いうのは建前で、ただ面倒くさいだけなのだが。

「あ、ちゃんに、今度ウチ遊び来いって言っておいて。」

「へー。」

去っていく銀時に適当に相槌を打つ。恐らく、高い確率でその言伝は忘れる。

「あ、あと、あんまり苛めんなよ。怒るとすっげえ怖いらしいから。」

苛められるような奴じゃないだろうと思ったが、銀時はそのまま立ち去ってしまった。
沖田が首を傾げると、地面にくっきりと映し出された黒い分身も首を傾ける。















あいつの影はもう他の黒に溶け込んでいるだろう。