「これか。」
「そうです。ココ以外の口座は既になくなっていて追跡は無理ですが、ココは今も利用されている形跡があります。」
すすむ闇、その先も闇。
「今、組織の詳細を探っている所です。」
「…今日中に吐いてもらいたいもんだな。」
若い隊士は、不安げに頷き土方の背中を見送る。
土方が向かうは最も深い闇の中
敷地の最奥
周りからは見えずひっそりと、それは暗く立っている。
重く、湿った扉に手をかけた。
09 離反
わき腹を蹴りとばす鈍い音の後に続いた静寂の中、
雨音はゆっくりと薄暗い土蔵に染み込んでくるようだ。
自由を奪われたの両手から徐々に熱が奪われる。
「そろそろ辛いんじゃないか?」
「体も傷だらけじゃないか」
「これ以上痛い目みたくなかったら早く知ってること吐くんだな。」
「…」
隊士たちからの表情は伺えない。
長い髪が顔を覆い、ついとも動かないその姿はまるで等身大の人形のよう。
理由もなく感じた恐怖を苛立ちでねじ伏せ、隊士の一人が竹刀を握り直す。
「お前なあ…いい加減にしろって言ってんだよ!!」
体に走る衝撃
それでも、彼女は息を漏らすことすらない。
「…の」
漸く発したの言葉は小さく、上手く聞き取れず、
隊士は身を乗り出した。
顔を上げたはまるで幼子を諭す母親のように微笑んでいた。
「頭の足らない芋侍相手じゃ埒が明かないわ。上の方を呼んできて下さいな。」
「んだとこのアマっ!!」
顔を歪ませた隊士が右手を振り下ろした。
はずみで唇に血が滲む。
蔵に一筋の光が入りこんできた。
淡く途切れがちなそれは、や隊士の元にまでは届かないが、
それでも薄暗い内部の様子を知るのには十分だ。
麻縄に鉄釘、重石、壁に掛けられた数種類の刃物。
この建物に窓はない。
声は中で響いても、敷地の外までは洩れていかない。
(完璧ね)
ココでの務め、近藤では無理だろう。
が思い当たる適任者は数人。
徐々に細くなる光。
そして、太陽は完全に雨雲に隠れてしまった。
黒が一段と重くなる。
軋んだ音を立てて扉が閉まると、そこには土方がいた。
両脇に隊士を控えさせた土方はまるで閻魔のよう。
は再び微笑む。
「あら副長こんにちは。丁度お話をしたいと思っていたところです。」
「どんな話だ?聞こうじゃねえか。」
土方が後ろ手に合図すると、3人の隊士は土蔵から姿を消した。
赤く燃える煙草の先から昇る香りに、はスンと鼻をならした。
「単刀直入にお聞きしますが、私は何故、捕まっているのでしょうか?」
「心当たりは?」
「ありません。」
土方の目が鋭くなる。
「…言葉には気をつけろ。取り返しがつかなくなる前にな。」
「貴方も。」
の目も、鋭さを増す。
すでに作り物の微笑みさえない。
「…攘夷浪士の居所を、場合によっちゃ奴らの組織の隠れ場所を知っているな?」
「…」
沈黙は肯定。
確信してはいたものの、まさか松平が連れてきた女が、攘夷浪士と繋がっているとは。
事が表ざたになれば、あの男もこちらも切腹ものに間違いないと、土方は頭を抱えたくなった。
「言葉を、」
土方は、先程の隊士たちと同じ恐怖を一瞬感じた。
「選んでくださいね?」
それは冷たい、冷たい目だ。
「あなたが聞きたいのは、本当に、それ?」
招き入れてしまったものはしょうがない。
ならば、それを利用して出来る限りの浪士を捕えなければ。
「攘夷浪士について、知っていること洗いざらい吐いてもらう。」
煙草の先から、燃えきった灰が地に落ちた。
「だから嫌いよ、男は。」
唐突に、土蔵にの声が響く。
土方は眉間に皺を寄せた。
「特に侍ね、頭の足りない連中ばかり。自分勝手な嫌な生き物。」
それまでの従順な態度とかけ離れて違う投げやりな言葉。
その顔は呆れているようにも見える。
「その癖プライドばかり高くって。世界は自分が回していると思っている。」
は立ち上がる。
土方の目の前でを拘束していたはずの縄が音も立てずにするりと地に落ちた。
「契約違反だ新選組。悪いけど、潰すわ。」
「てめぇ…」
刀に手をやる。
何時でも抜刀出来る体勢の土方に、は丸腰で向かう。
殺すつもりはなかった。
けれど、傷を与えるつもりで間合いに入った刹那に抜刀した。
土方の切先は空を斬る。
跳躍したの影が、刀に映った。
重い扉が内から開かれる。
「山崎っ!!」
土方の叫びとほぼ同時に手裏剣が目がけて放たれるが、壁を蹴って塀の上に飛び乗った彼女には届かない。
「私の誓い、返してもらうから。」
体を包むような細かい雨の中、最後に彼女はそう言って姿を消した。
「スイマセン副長。」
「…。すぐに緊急配備をかけてあの女を捕えろ。」
「彼女、なんて?」
「…新選組を潰すってよ。」
見開いた目に、動揺が走る。
「まずいですよ副長。黒い炎に狙われた組織は塵も残らないって有名な話です。」
「残ってるじゃねえか。俺も、お前も。」
土方が吐き捨てるように呟いた。
黒い炎は雨に打たれても消えず。
じわりじわりと周囲を燃やす。